こんにちは。
セルフカウンセリング®という心理学(自己発見心理学)に基づいて、企業研修としてコミュニケーショントレーニングを行ったり、コミュニケーショントレーナーの資格取得のためのセミナーを企画運営しているNPOです。
ホームページのリニューアルに伴い、2022年5月から理事、監事が交代でブログに投稿することになりました。
内容はセルフ・カウンセリングに関わって感じた各人の感想、思いつき等なんでもありです。
あくまでも個人としての自由な意見・考え方です。
セルフ・カウンセリングを学ぶ上で、皆様の参考になれば幸いです。
今回の担当は、前回に引き続き、普及協会の理事、通信講座の専任講師の生江規子さんです。
4回連載のうちの第2回目「セルフ・カウンセリングに取り組んで」をご紹介します。
もっと人づきあいが楽に出来るようになりたい、という思いでセルフ・カウンセリングを学び始めました。
セルフ・カウンセリングの方法である“書くこと”“書いたものを自分で読み返して気持ちを見つめていくこと”は、私に合っていると思いました。
口ではうまく表現できなくても、紙の上に書くことでくり返し確かめたり書き加えることができます。
口に出せなかった思いも紙の上ならば、思ったままを<心のセリフ>として表現できます。
この講座の中では、自分の気持ちをありのままに表現することを大切にしていることが分かって、心からホッとしました。
それまで感じていた閉塞感がスッと薄れたように思いました。
はじめに息子とのこと(場面)を書きました。
息子に対する否定的な思いが<心のセリフ>に次々と表現されていきました。
読み返してみた時、私は“~するべきだ”という思いが強いことに気がつきました。
するべきこと(勉強する・先生の言うことをきく・友だちと仲良くする・身だしなみをきちんとする・行儀よくする…etc)が出来ていない!と息子を否定していたのだな、と思いました。
“~するべき”という思いは私のモノサシであり、それは私がこれまで生きてきた中で取りこんできた大事な価値基準なのだと学び、納得しました。
私にはたくさんのモノサシがあって、そのモノサシで息子を、ほかの人たちを、そして私自身を裁いたり評価していたことに気づきました。
コメントをお書きください
東 由紀子 (土曜日, 04 6月 2022 10:08)
私も、セルフカウンセリングを学んだことにより、自分を冷静に見つめなおすことができました。仕事をする中で、保護者ケアに生かしていました。これからもブラッシュアップしていきたいです。
松村喜代 (土曜日, 04 6月 2022 10:12)
自分のモノサシが絶対であるように感じ、自分自身も縛っているのですね。その辛さで、落ち着かない気持ちが痛いほど伝わって来ました。
モノサシに気づくことって大切ですね。次回も心待にしております。
生江規子 (土曜日, 04 6月 2022 15:32)
東 様
お読み下さってありがとうございます。
自分を見つめることの大切さを知ったことは、私にとっての大きな転機になりました。
子どものケアは勿論大事ですが、保護者ケアにセルフ・カウンセリングを活かされたこと、素晴らしいと思います。
親が自分を大切に理解して受けとめる(受けとめられる)経験ができると、落ち着いて子どもや家族に接していけると思います。
親と子どもの関わりに、セルフ・カウンセリングが取り入れられると良いなぁ、といつも願っています。
松村 様
コメントありがとうごさいます。
こういうことが私のモノサシなのだ、気づいた(気づかされた)ときは、かなり戸惑いました。だってそれは当然のことでしょ?という思いが抜けなかったのだと思います。
だから自分も縛られてたいへんだったのだなぁ…と分かるまでは、だいぶ時間がかかりました。
たくさんあるモノサシから少しずつ解放されて、それでも手放せないモノサシについては、自分らしさのひとつとしてゆる〜く受けとめていきたいと思っています。
松村さんは、ご自分のモノサシについてどのようにお感じでしょうか?
関香澄 (日曜日, 05 6月 2022 05:15)
私も知らない間に相手(私以外)のことを自分のものさしや言われたことは100%できないといけない。
他の人もと思っていたので、
自分もできないのにと落ち込むこと多かった。
人に厳しいかもしれません。
人は自分よりするべきことができると思っていました。
色々な話しを聞けて、
自分のことが少しでもわかると
少しづつですが考える余裕が
固定した枠が大きくなって来たように思います。
生江規子 (月曜日, 06 6月 2022 10:38)
関 様
コメントありがとうございます。
本当にモノサシというのは、自分の中にしっかりと取り込まれていて、自覚しにくいものだな、と思います。
ついほかの人にも自分にもモノサシを向けてしまい、しかもそれに気づかない、ということがたくさんありました。
気づくことで自分の考えの枠が広がったと感じられたお気持ち、よく分かります。
でもモノサシからなかなか離れられない焦りもあったなぁ、と少し懐かしく振り返っています。